shiozawa_yukiorosi今年は、年末から年初にかけて、日本列島が大雪に見舞われた。東京を中心とする関東地方の一部のみが、かろうじて雪景色に染まっていない。

特に北陸地方は、大雪に慣れないせいもあるのか、交通渋滞などトラブルが続出したという。

日本有数の豪雪地帯、「南魚沼郡塩沢町」 
これが、日本有数の豪雪地帯、越後魚沼地方(新潟県南魚沼市)となると、この程度の雪は年中行事。白髪が一本増えた程度の、気にもならない雪景色となる。

一晩で1メートル近くは降り、屋根の雪下ろしは毎週のように行い(さもないと家が雪の重みで潰れてしまう)、二階から街なかの道路に降りるなどと言うのは大げさでも何でもなかった。 (新潟県垂直積雪量運用基準によると、南魚沼郡塩沢町は470cm積もったとの記録がある)

筆者は太平洋戦争の終戦を、疎開先である、当時の新潟県南魚沼郡塩沢町で迎えた。その日のことはいまだに明白に覚えている。中学1年生だった。夏の真っ盛り、家にあった竹やりを持ち出し、しごきながら、アメリカ兵を一人でも殺して死んでやろうと覚悟を決めていた。

中学校は隣町にある六日町中学。列車通学であったが、冬の間は毎日、スキーで通学した。約4キロ程度であったと思う。
鈴木牧之と北越雪譜
冬の大雪と聞くと、60年以上も前の、当時の生活情景が思い浮かぶ。

hokuetu_seppu筆者の塩沢の家の向かい斜め前に、江戸時代後期の文人、「北越雪譜」(ほくえつせっぷ)を著した鈴木牧之の家があり、その後裔でもある 「鈴木君」 が住んでいた。

中学の同期生で同じクラス。脚をちょっと引きずっていたような記憶があるが、頭のよい子だった。彼はやはり疎開っ子で、二年後くらいだったか、私と時を同じくして東京に帰って行った。

「北越雪譜」は、越後の大雪を知らない江戸の人たちに、越後魚沼の雪国の生活--風俗、暮らし、方言、産業、珍しい話など、牧之自身の挿絵を添えた書籍である。なお、牧之自身はちじみの仲買商、質やなどを営んでいた。家財を数倍にしたという商人でもあった。

そして、越後魚沼といえば、なんといってもコシヒカリ。

越後魚沼は、コシヒカリによってその名を全国に留める。コシヒカリは「越国」(こしのくに)に因み、「越しの国に光り輝く米」という願いを込めて命名されたという(ウイキペディア)。

uonuma_koshihikari02コシヒカリは、福島県、新潟県以南の日本各地で栽培されているが、越後魚沼のコシヒカリは最高品種として著名である。 
日本穀物検定協会による平成20年度の「コメの食味ランキング」において最高の「特A」を得たコシヒカリの産地は福島県の会津、群馬県の北毛などいくつかあるが、新潟県の魚沼産が最高値で取引されている。

すなわち、食味の良い産地は新潟県周辺の内陸部に集中しているが、これらの地域では夏季にフェーン現象などで昼間に高温になりながらも夜間は熱帯夜になりづらいという気候の特徴が共通している。(ウイキペディアより)
(続く)