二年間続いてきた作業の延長なのだが、「リニューアル」と改まると何かしなければならないという気持ちにさせられる。「みみずのたわごと」と言う表題については以前紹介したことがあるが、明治、大正の文豪、徳富蘆花の著名な随筆集の表題である。徳富蘆花と言っても知る人は少ないが、不如帰(ほととぎす)の著者である。ますます分からない?? 

どちらかと言えば、国家主義的な考え方に近い蘆花とは、全く相容れないが、「みみずのたわごと」だけは、大正時代に発刊された古い表装のかなり分厚い本を、母が愛読しており、私の記憶から消えることがない。その母が亡くなって、そろそろ40年になる・・・。その母が最近よく会いに来る・・・。

人間、いちど死に直面すると、怖いものがなくなる。何時その時が来ても良いように、日夜、準備にいそしんでいる。日々の生活がその為にあるようなものである。4年ほど前、心筋梗塞で倒れ、肺炎を併発して三途の川を渡りかけた。三ヶ月の入院生活で、何となく直ってしまって、何となく生きているこの頃である。

親しんでいる猫の死も気になる。ここ半年ばかりの間に、毎日食事を与えているノラちゃんが三匹、目の前から消えた。二匹は、車にひき殺され、一匹は行方不明である。私の姿を見ると、遠くの茂みから跳んで走り寄ってくる猫の姿が消えてしまうのはやりきれないものである。家内と二人で、毎日、10数匹のノラちゃんに食事を持っていっているが、1匹でも欠けるのはつらい。

人や猫仲間にまったく相手にされない、病気で弱り切っている不格好なノラ猫を、せめて最後の数日だけは、暖かいところに住まわせようと拾ってきて家に入れて面倒をみたら、半年間生き延びて、私の手の中で心臓の鼓動が止まった。その心臓が止まっていく有様を私の手のひらが未だに感触として覚えている。これは1年以上前の話しになる。

さて、リニューアルと言えば、このサイトのリニューアルも大変だったが、もっと大変なのは、この国のリニューアルである。かけ声だけは勇ましかったが、先日の国会答弁の小泉首相を見たら、この人いったいなーに、と言いたくなるようなぶざまさである。小役人の書いた原稿の棒読みである。それも、棒読みしていますと言うことを表に出してのボーヨミである。小学生が国語の教科書を読んでいるようだった。

この国の心臓の鼓動はまだ、ほそぼそと動き続けている。とにかく、小役人の思うがままにさせたくないと言う気持は多くの国民が持っていると思うが、おおかたの期待を裏切って、まだ、小役人が我々の生活を仕切っている。一国の首相の答弁が小役人の言うがままではなさけない。このままでは、小役人の手のひらの中で、この国の心臓は止まってしまうかも知れない。

小役人が謙虚に裏方に徹するようになってはじめてこの国は安泰になる。パブリックサーバントが、でかいツラをしている国にろくな国はない。小役人は、我々の税金で食っているのだと言うことを、国民の皆さんは再認識して、パブリックサーバントはパブリックサーバントらしくその職務に励むよう監視していくようにしよう。封建主義は親の仇と言ったのは福沢諭吉か? 官僚中心主義は国の仇である。では、官僚、即ち、小役人に頼り、もたれ合う、族議員は何なのか?

 


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