◆最近の大失敗作と言われているNHK大河ドラマお江で、多くの人たちは柴田勝家とお市の方の最後を知ることになりました。 1583年4月24日、二人は羽柴秀吉の軍勢に囲まれた北ノ庄城で自害しました。

◆それから約70年後、徳川幕府の治世に入っていますが、江戸城大奥の大刷新が行われ、3700人の女中が解雇され、不要な建物を取り壊したのです。 三代将軍徳川家光の死後4日目に行われたとのこと。家光の時代は飽くなき浪費が行われていたということなのでしょう。1651年4月24日のことでした。

◆20世紀に入ると、1932年4月24日、目黒競馬場で第一回目の日本ダービーが行われました。目黒競馬場などというのがあったのですね。目黒競馬場は、東京府荏原郡目黒村(現在の東京都目黒区下目黒四?六丁目)に存在したとのこと。

「目黒競馬場は1907年12月に日本競馬会によって開設された。1910年に東京近郊の4つの競馬倶楽部(日本競馬会・東京競馬会・川崎競馬倶楽部・東京ジョッケークラブ)が合併したのに伴い主催者が東京競馬倶楽部に移行。同年春季からはそれまで池上競馬場で施行されていた帝室御賞典の開催が始まり、翌1911年からは当時の選手権競走ともいえる優勝内国産馬連合競走が創設された。

1932年に近代競馬の基幹競走となる東京優駿大競走(現在の日本ダービー)が創設され、記念すべき第1回はこの目黒の地で開催された。」 ウイキペディア「目黒競馬場」 より

昭和6年発行 25000分の1 東京西南部
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道がカーブしている。競馬場の跡
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競馬場名残の交差点名
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記念碑
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●上記写真は「古地図で巡る消えた競馬場」 より拝借。このサイトは古い人間には非常に興味をそそられるサイト。