(この文章は、アフィリエイトポータルネットが初出。 読者層の違う、当ブログに転載したものである)
(株)リンクシェアジャパンの元社長、花崎茂晴さん(現三井物産ICTマーケティング事業部インターネット事業室長)がこの度、三井物産ニューヨーク支店に転勤されることになった。
その壮行会が7月13日に行われる。 私的な壮行会らしいが、公表されているので、日時を記させていただく。細部は下記、Facebookをごらん頂きたい。
・日時 2011年7月13日 19:00 - 23:00
http://www.facebook.com/event.php?eid=235433469807638
1. 「アフィリエイトマーケティングの歴史」を創った花崎茂晴さん。
(添付の写真は、2009年4月24日、花崎さんが社長を退任し、津田圭吾氏に後任を譲ったときの記者会見の席上でご一緒させて頂いたもの)
花崎さんは三井物産における現役のバリバリの方、これからの方なので、どこまで書いてよいのやら、正直、筆が迷うのである。 しかし、まったくの第三者の「感想、評価、思い」など、花崎さんの将来にそれほどの影響もないだろうと思い、この文章を書くことにした。
実は、日本におけるアフィリエイトマーケティングの歴史の一端をもう少しクリアにしておきたいという思いが筆者にあり、花崎さんにお聞きしておきたいことが幾つかあって、そのうち、メールでもお出ししようかと思っていたところだったのである。 そこへ、ニューヨーク転勤のお話を聞き、私のプランも先送りせざるを得なくなった。
花崎さんは、まさに、「アフィリエイトマーケティングの歴史を」を創ったお一人だと思っている。この表題に「日本の」がつかないところにご注意頂きたい。
筆者が過去に書いた文章の一端を挙げれば、その理由がお分かり頂けるかもしれない。
古い年代順に挙げてみる。すべて、アフィリエイトポータルネット(日本では最古のアフィリエイト情報サイトのひとつ)に記載したものである。
1. 2001年09月14日
【国内】リンクシェアのアフィリエイトプログラム・セミナー、100人の参会者を集めて盛況
2.2001年11月15日
【国内】リンクシェア第一回シンポジューム開催。90社、150人の参会者で盛会。
3.2002年03月06日
【国内】 第二回リンクシェアシンポジュウム、有力ECサイトとアフィリエイトサイトの壮大な交流の場を提供
4.2002年05月27日
【国内】淘汰の時代の勝ち残りを求めてーー我が国アフィリエイト史上最多を集めたリンクシェア経団連会館セミナー
5.2002年07月11日
【国内】リンクシェア第三回シンポジウムを開催。台風接近の中、150人が論議に傾注
●ところが、リンクシェアは当時、アメリカの本体が大きな問題を抱えていたのです。
6.2001年02月12日
アメリカのASPの雄”LinkShare 死の行進”101のマーチャントが脱会。
7.2001年02月20日
LinkShare 株式上場を断念。先行きはどうなる・・?
8. 2001年02月24日
リンクシェア、更に12のマーチャントを失う。しかし、悪者はどちらだ?
9.2001年04月01日
米リンクシェア社、20%レイオフ?? 縮小の噂飛ぶASP業界のパイオニア
10. 2001年05月19日
リンクシェアUSA、レイオフ第二ラウンドへ?会社更生法申請との噂??
11.2001年07月10日
リンクシェアUSA、”6月の利益”は三井物産の投資効果か。ディスカッションボードで大規模なイベントを開催。
●楽天のリンクシェアUSA買収発表は2005年9月
破産の危機を迎えたリンクシェアUSAが立ち直ったのは、アメリカのメディアが伝えるように、三井物産の資金注入があってのことだろうが、ここで、リンクシェアジャパンの責任者である花崎さんがどのような役割を演じたのか、私が、一度花崎さんにお尋ねしたかったのは、このあたりのことである。
まだ、明らかにすることができないことがあるのかも知れない。
私が、この文章の表題に「アフィリエイトマーケティングの歴史を創った」と、あえて、「日本」をはずしたのは、リンクシェアUSAを立ち直らせ、楽天の買収までもっていったのは、アメリカのアフィリエイトマーケティング業界の復権の一端を担ったということ、これは何を意味するかといえば、(世界の)アフィリエイトマーケティングの発展の歴史の一部を担ったということではないだろうか。
リンクシェアUSAが危機的な状況にあったとき、リンクシェアと天下を二分していたASPの雄、コミッションジャンクションが、これまた、破産の憂き目に遭遇し、アメリカのアフリエイトマーケティング業界は、一時的にせよ、沈没しかねない、メディアの餌食となるような状態にあったのである。
・2001年06月16日
アメリカの3大ASPのひとつ、コミッション・ジャンクション、突如40%の人員整理を発表。
・2001年06月24日
コミッションジャンクション、東京を含む、ロンドン以外の海外事務所を閉鎖。
●2000年に三井物産の社内ベンチャーとして発足したリンクシェアジャパン
すでに、何回も書いてきたことだが、私が、花崎さんを始めて訪ねたとき、まさに社内ベンチャーの出だしそのもので、薄暗い事務所にほんの数人の人たちと忙しそうにしていた。
「明日、アメリカに行ってリンクシェアとの契約の問題を話し合うのです」 と花崎さんは言う。そのとき、リンクシェアUSAとの契約も済んでいなかったのである。
私が花崎さんを訪ねたきっかけが、まさに、「契約」の問題だった。
私はアメリカのアフィリエイトプログラムを自分のサイトに紹介していたのだが、すべての情報は、アマゾンUSAとリンクシェアUSAから、翻訳の了承を得て、記載していた (当時、日本のメディアには、アフィリエイトの「ア」の字もなかった)。
そんな作業の中で、本格的なアフィリエイトプログラムを日本でビジネスとして始めたらどうだろうかと、リンクシェアにメールを送り、「日本にリンクシェアのアフィリエイトプログラムを紹介したいのだが」 と問い合わせたのである。
受け取った返事が、「いま、三井物産という会社と交渉をしている。三井物産と話してくれ」 と、電話番号を教えてきたのである。これが、花崎さんとの出会いとなった。
(続く)
(株)リンクシェアジャパンの元社長、花崎茂晴さん(現三井物産ICTマーケティング事業部インターネット事業室長)がこの度、三井物産ニューヨーク支店に転勤されることになった。
その壮行会が7月13日に行われる。 私的な壮行会らしいが、公表されているので、日時を記させていただく。細部は下記、Facebookをごらん頂きたい。
・日時 2011年7月13日 19:00 - 23:00
http://www.facebook.com/event.php?eid=235433469807638
1. 「アフィリエイトマーケティングの歴史」を創った花崎茂晴さん。
(添付の写真は、2009年4月24日、花崎さんが社長を退任し、津田圭吾氏に後任を譲ったときの記者会見の席上でご一緒させて頂いたもの)
花崎さんは三井物産における現役のバリバリの方、これからの方なので、どこまで書いてよいのやら、正直、筆が迷うのである。 しかし、まったくの第三者の「感想、評価、思い」など、花崎さんの将来にそれほどの影響もないだろうと思い、この文章を書くことにした。
実は、日本におけるアフィリエイトマーケティングの歴史の一端をもう少しクリアにしておきたいという思いが筆者にあり、花崎さんにお聞きしておきたいことが幾つかあって、そのうち、メールでもお出ししようかと思っていたところだったのである。 そこへ、ニューヨーク転勤のお話を聞き、私のプランも先送りせざるを得なくなった。
花崎さんは、まさに、「アフィリエイトマーケティングの歴史を」を創ったお一人だと思っている。この表題に「日本の」がつかないところにご注意頂きたい。
筆者が過去に書いた文章の一端を挙げれば、その理由がお分かり頂けるかもしれない。
古い年代順に挙げてみる。すべて、アフィリエイトポータルネット(日本では最古のアフィリエイト情報サイトのひとつ)に記載したものである。
1. 2001年09月14日
【国内】リンクシェアのアフィリエイトプログラム・セミナー、100人の参会者を集めて盛況
2.2001年11月15日
【国内】リンクシェア第一回シンポジューム開催。90社、150人の参会者で盛会。
3.2002年03月06日
【国内】 第二回リンクシェアシンポジュウム、有力ECサイトとアフィリエイトサイトの壮大な交流の場を提供
4.2002年05月27日
【国内】淘汰の時代の勝ち残りを求めてーー我が国アフィリエイト史上最多を集めたリンクシェア経団連会館セミナー
5.2002年07月11日
【国内】リンクシェア第三回シンポジウムを開催。台風接近の中、150人が論議に傾注
●ところが、リンクシェアは当時、アメリカの本体が大きな問題を抱えていたのです。
6.2001年02月12日
アメリカのASPの雄”LinkShare 死の行進”101のマーチャントが脱会。
7.2001年02月20日
LinkShare 株式上場を断念。先行きはどうなる・・?
8. 2001年02月24日
リンクシェア、更に12のマーチャントを失う。しかし、悪者はどちらだ?
9.2001年04月01日
米リンクシェア社、20%レイオフ?? 縮小の噂飛ぶASP業界のパイオニア
10. 2001年05月19日
リンクシェアUSA、レイオフ第二ラウンドへ?会社更生法申請との噂??
11.2001年07月10日
リンクシェアUSA、”6月の利益”は三井物産の投資効果か。ディスカッションボードで大規模なイベントを開催。
●楽天のリンクシェアUSA買収発表は2005年9月
破産の危機を迎えたリンクシェアUSAが立ち直ったのは、アメリカのメディアが伝えるように、三井物産の資金注入があってのことだろうが、ここで、リンクシェアジャパンの責任者である花崎さんがどのような役割を演じたのか、私が、一度花崎さんにお尋ねしたかったのは、このあたりのことである。
まだ、明らかにすることができないことがあるのかも知れない。
私が、この文章の表題に「アフィリエイトマーケティングの歴史を創った」と、あえて、「日本」をはずしたのは、リンクシェアUSAを立ち直らせ、楽天の買収までもっていったのは、アメリカのアフィリエイトマーケティング業界の復権の一端を担ったということ、これは何を意味するかといえば、(世界の)アフィリエイトマーケティングの発展の歴史の一部を担ったということではないだろうか。
リンクシェアUSAが危機的な状況にあったとき、リンクシェアと天下を二分していたASPの雄、コミッションジャンクションが、これまた、破産の憂き目に遭遇し、アメリカのアフリエイトマーケティング業界は、一時的にせよ、沈没しかねない、メディアの餌食となるような状態にあったのである。
・2001年06月16日
アメリカの3大ASPのひとつ、コミッション・ジャンクション、突如40%の人員整理を発表。
・2001年06月24日
コミッションジャンクション、東京を含む、ロンドン以外の海外事務所を閉鎖。
●2000年に三井物産の社内ベンチャーとして発足したリンクシェアジャパン
すでに、何回も書いてきたことだが、私が、花崎さんを始めて訪ねたとき、まさに社内ベンチャーの出だしそのもので、薄暗い事務所にほんの数人の人たちと忙しそうにしていた。
「明日、アメリカに行ってリンクシェアとの契約の問題を話し合うのです」 と花崎さんは言う。そのとき、リンクシェアUSAとの契約も済んでいなかったのである。
私が花崎さんを訪ねたきっかけが、まさに、「契約」の問題だった。
私はアメリカのアフィリエイトプログラムを自分のサイトに紹介していたのだが、すべての情報は、アマゾンUSAとリンクシェアUSAから、翻訳の了承を得て、記載していた (当時、日本のメディアには、アフィリエイトの「ア」の字もなかった)。
そんな作業の中で、本格的なアフィリエイトプログラムを日本でビジネスとして始めたらどうだろうかと、リンクシェアにメールを送り、「日本にリンクシェアのアフィリエイトプログラムを紹介したいのだが」 と問い合わせたのである。
受け取った返事が、「いま、三井物産という会社と交渉をしている。三井物産と話してくれ」 と、電話番号を教えてきたのである。これが、花崎さんとの出会いとなった。
(続く)
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