原爆が投下された後の新聞。強烈に覚えています。「新型爆弾を投下」とあったのです。それが原子爆弾という、とんでもない爆弾だと知るのは戦後のこと。

軍事政府は、これがどういう爆弾であるか百も承知。それにも拘わらず、口から出てきた言葉は、「我に天佑神助あり」。天が、神様が助けてくれると言う人頼みの言葉。この言葉が軍部の高官から出るのです。そして、われわれ、小中学生に竹やりを持たせ、一億玉砕を説き続けたのです。
原子爆弾と竹やり。
時の軍部と政府はこうなることを感じながら、日本国民を、アジアの人たちを戦火の中に放り込みました。

・原爆投下を「恥ずかしい」と感じない、自称愛国者たち。
一昨日紹介した「永久敗戦論」の著者、白井総氏は朝日新聞のインタビューで次のように言っています。
「日本の自称愛国者たちは、広島と長崎に原爆を落とされたことを『恥ずかしい』と感じている節はない。被爆の経験は、そのような最悪の事態を招来するような『恥ずかしい』政府しか我々が持ち得なかったことを端的に示しているはずなのに、です
 」

戦後生まれの人々が人口の四分の三を占めるこの国で、原爆を落とされたと言う事実が風化し、物語としてしか語られなくなろうとしています。白井総さんは1977年生まれ。この若い人が、いまの日本に警鐘を鳴らしているのが、「永久敗戦論」です。

彼は言っています。原爆の風化のみならず、つい、二年前に起こった原発事故さえ、「無かったことにしよう」という風潮がおきつつある日本という国。ましてや、70年近く前に起こった「敗戦」という事実など、なかったことにすることなど朝飯前。そして、「美しい国」「強靭な国家」に国民を連れて行こうと意図しています。

この恐ろしい時代(彼らの言う”美しい国”)を次世代の人たちに二度と経験させたくない。
今の政府の勇ましい言動を見ていると、この怖さの再来を感じる昨今です。